第20番 四軒在家観音堂


生品小学校の前の田んぼ道を東に進むと、右手に背丈ほどの桑畑に囲まれながらいくつかの
墓石が見える。その一画に、質素なプレハブ造りの観音堂がある(写真上)。

道を隔てて民家が点在するが、周囲は新田の地名のごとく、限りなく田んぼが広がる。

文化13年(1816)以前、徳寿院という寺院が新田町田中という場所にあったが、 それを
大正時代の区画整理をきっかけに移転させたのが、今の観音堂である。

このとき、近所の4軒(川島家、戸崎家、飯田家、鈴木家) がいっしょに観音堂を管理した。
ここが四軒地区と呼ばれるいわれである。

今では20軒ほどが観音堂の敷地に墓地を造り、この20数軒で観音堂を守ってきている。

現在、観音像を管理している川島保二氏の家は、北側の大きな農家である。 かつて徳寿院を
創建したということで、総本家として扱われている。 観音像は大正時代に修理を受けているが、
徳寿院の創建時代の作である。

1月、4月、12月の20>日に、近在の20人ほどの人が集まりお茶飲み会を開く。 4月20日が
大祭日であり(20日は20番と同じ)、ほかは年末年始である。

そのときは堂内に観音像が運び込まれ、普段はひっそりしているお堂(写真下)が、お祭りのように
にぎやかになる。

<巡礼案内>
 四軒在家観音堂(しけんざいけかんのんどう)
 本尊:千手観音
 〒370-0312 太田市新田村田町908番地 無住

<納経所>
 川島保二宅 TEL:0276-57-1106 観音堂北側
 ご朱印は、観音像を刻んだ木版画である。

巡礼歌 『夜な夜なに 映る月影 村田ごと 大悲の誓い 隔てなきなり』