事件5:会社法の施行

平成18年5月の初め頃、年配の夫婦が左近寺進の事務所を訪れた。夫は病気のため、右半身の
自由がきかず、妻の手を借りなければ歩行すら困難な状態だった。

妻に支えられながら椅子に腰掛け、何か言おうとして口を開いたが、病気のため言葉も不自由で、
はっきりしなかった。

夫に代わって、 妻が隣で説明する。
「テレビを見ていたら、この5月から新会社法が施行されたようなんですが、わたしたちの会社は
確認会社なんです。いったい、どういう手続をしたらいいんでしょうか」

司法書士の左近寺はこれを聞いて、新会社法の施行でみんなあわてているな、と思った。

従来、商法で定められていた資本金の最低額、株式会社1000万円、有限会社300万円という額に
満たなくても、設立の日から5年を経過するまでに増資すれば株式や有限の会社が設立できる制度があり、
その手続で設立した会社を確認会社(最低資本金特例会社)といった。

夫婦が設立したのは、1000万に満たない株式の確認会社だった。

「確認会社の制度というのは、設立の日から5年までに増資することを必要とします。その旨は解散の
事由として登記されており、そうしないと、解散することになります」

左近寺の説明に、妻は答えた。
「でも、主人がこのような状態でしょ。うちの会社は解散してもいいと思っているんです」

「えっ」
左近寺は、思わず声をあげた。

「それじゃ、そんなに心配する必要はないじゃないですか」

「ええ、それだけだったら何もあわてないんですが、実はうちの会社はお金を貸して、他人の土地に
抵当権を付けているんです」

そう言って、次のようなことを話し出した。

設立当時は、この会社も順調だったが、夫が病気のため半身不随になると、経営状態も思わしく
なくなり、赤字決算が続くようになった。

そこで、確認会社は最低資本金に達しない場合は、解散しなければならないので、この機会に
解散してしまおうと思う。

しかし、以前融資したことがあり、その担保として親戚の土地に抵当権を設定している。解散させられて
しまうと、会社自体がなくなり、この抵当権も消滅してしまうのではないか。

この抵当権だけはどうしても存続させたい。それには、やはり増資して会社を存続させる以外に
方法はないのだろうか。
妻の話は、そのような内容だった。

隣で、夫が心配そうな顔付きで、じっとこちらを見つめていた。

数日後、相手方の妻から電話があった。
「今月いっぱいで解散ししまうので、仕方がないから、増資の手続をして下さい」
左近寺は、依頼者を安心させる意味で答えた。

「増資する方法もありますが、抵当権の登記名義人として存続するためでしたら、増資をしなくても
できます。解散されても清算会社として存続しますから」

株式会社は解散しても、清算の目的の範囲内において、なお権利能力を有する。

清算とは、解散した会社の残余財産や法律関係の後始末であり、その中には抵当権の登記名義人と
なること、および抵当権を実行することも含まれる。

したがって、解散したとみなされても抵当権の登記名義人として存続することができるのである。

左近寺の続けて説明した。
「また、新会社法の下では、解散の事項を抹消し、その変更の登記申請をすれば、新法下での
株式会社となり、解散しなくてもよいことになります」

それを聞くと、その妻は電話口で喜んでいるようだった。
そのどちらの方法を選択するかは、今後、依頼人の判断に委ねられる。

このように、新会社法の施行によって、多くの人たちは不安を抱いている。

これからも役員の人数や任期の問題など、さまざまな相談が司法書士、左近寺事務所に
持ち込まれるだろう。