「高野太郎の土地を買うつもりで、登記簿の謄本を取ったところ、こんな謄本がでてきました」
と言って、依頼者の塀山三郎は、司法書士、左近寺勲の前に二通の謄本を置いた。
現在、コンピュータ-化されている法務局が多いが、地番の同じ物件はコンピュータ-に
移項することができず、ブック式のまま使用されていた。
塀山三郎はその土地を現在、駐車場として借りているが、今度、購入したいと思い、謄本を請求してみた。
すると、所有者がそれぞれ、“高野太郎”、“小津川次郎”という、同じ地番の二通の謄本がでてきた。
「これは、どちらが本当の所有者なんでしょうか」
塀山は、困ったように左近寺の顔をのぞきこんだ。
「これは、二重登記だな」
左近寺はそう思いながら、頭の中で以前読んだことのある参考書の二重登記の箇所を、思い出していた。
塀山が帰った後で、二通の謄本をよく調べてみると、“高野太郎” の登記は昭和37年に受付された
所有権移転であり、順位一番に移記されていた。そして、乙区欄には、三つの抵当権が設定され、
その後にいずれの抵当権も抹消されていた。
一方、“小津川次郎”の名義の登記は、昭和5年受付の所有権移転の登記であり、これも順位一番に
移記されていた。しかし、甲区欄にも乙区欄にもそれ以外の登記は、何もされてはいなかった。
これだけの資料のみで判断すると、高野太郎の所有権登記が昭和37年であり、昭和5年にされた
小津川次郎のものよりも新しいので、後からなされた登記として抹消されてもよいことになる。
しかし、実体的に権利関係に合致しているかどうかも判断しなければならないので、これだけの資料では、
どちらの登記も抹消することかできないことになる。
そこで、両方の閉鎖された謄本および土地台帳を取り寄せてみると、次のような事実が判明した。
すなわち、小津川次郎が、昭和5年、相続によって、先代の小津川治郎衛門からその土地の所有権を取得した。
その後、当時の大蔵省が、小津川次郎から農地解放を原因としてその土地の所有権を取得している。
さらに、昭和23年、大蔵省がその土地の登記簿が存在するにもかかわらず、存在しないものと考え、
表示の登記と保存登記をしている。
したがって、このとき、小津川の登記がそのまま残り、新たに保存登記された大蔵省の登記とともに、
二重の登記が発生したものと考えられる。
さらに、昭和25年に、大蔵省がその土地を高野多呂衛門に売渡している。
その後、現在の所有者である高野太郎が、相続によって先代の高野多呂衛門からその土地を取得している。
その高野太郎から、この度、塀山三郎が買おうとしているのである。
以上の事実からわかるように、その土地の所有権は、“小津川治郎衛門”“小津川次郎”“大蔵省”
“高野多呂衛門”“高野太郎”と移転している。
したがって、実体的権利関係からすると、現在の所有者は、高野太郎であることは明らかである。
また、小津川次郎から大蔵省に農地解放を原因として所有権が移っており、彼はその土地について
何らの権利を有しないことがわかる。
さらに、小津川の謄本には、彼の所有権を取得した旨の登記しかなされておらず、乙区欄にも
抵当権等の登記がなされていないため、彼はなんら所有の意思も占有の意思も有していないことがわかる。
その結果、塀山三郎は、もう一人の所有者である高野太郎を本当の所有者として、
その土地を買受けることができる。
もっとも、無権利者の小津川の登記は、二重登記の名義人が異なるため、職権では抹消することができず、
彼自身の申請によって抹消しなければならない。
かりに、小津川が自己に所有権があることを理由に争ってきたとしても、高野太郎は、20年以上
占有を継続しているため、時効取得を主張して勝訴することができるのである。