第37番 明源寺


長明寺の南方250メートル先。ローソンの合い向かいの住宅が並ぶ細い路地を入っていくと、墓地が
広がり一画に小さなお堂が建っている。 ここが明源寺跡である。

お堂はかつての阿弥陀堂であるが、赤い屋根を乗せ、正面の格子戸が少し荒れている。

その後ろに、富士登山記念の碑、百番巡礼、四国遍路、神社仏閣の巡拝の碑などが立ち、 かつての
繁栄振りが偲ばれる。

明治13年の火災で、長福寺同様、堂宇を失う。昭和28年、長福寺と合併して消滅した。

明源寺は寛文5年(1665)に大慶寺の明源坊空覚によって創建される。 江戸初期に銅街道沿いに
移築される。

新田一族の金井氏の関係した寺院であり、境内も広く、本尊は阿弥陀如来、間口五間半、奥行き
三間半の大きな本堂が建っていた。

この寺は、明治の廃仏毀釈で少なからず影響は受けたものの、昭和の時代まで存続し続けた修行の
寺であった。

今では住宅地に囲まれた地に、墓地と廃屋になったお堂を残すのみで、人々から忘れられた存在に
なっている。

<巡礼案内>
 明源寺(みょうげんじ) [高野山真言宗] 本尊・阿弥陀如来
 〒370-0347 太田市新田金井町491 無住

<納経所>
 長明寺(36番) TEL:0276-57-3278

巡礼歌 『黄金さす 慈悲ぞ深き 大日尊 ただひたすらに 利益願いて』