事件6:自己破産(前編)

ある日、事務所に一人の男が入ってきた。その男は肩をうなだれ元気がなさそうで、貧相な
顔つきをしていた。

ほとんど聞こえないくらいの小さな声で、その男が言った。
「あのう……、おれ、サラ金で金を借りて……」

男は、そう言うのがやっとだった
司法書士の左近寺勲は、この男はサラ金で金を借りてその返済に困っているな、と直感した。

左近寺は早速、応接室に通し、その男から話を聞いた。
「おれ、金竹信二というだけど、実は、サラ金から四百万円を借りて、それが返せなくて……」

男は、金竹信二と名乗った。本当に、金だけしか信じないような顔つきをしている。
金竹信二は話を続けた。

「やくざみたいな男が、毎日のように自宅とか会社に取り立てに来るんです」
金竹は、困りきっているようすだった。

最近では、サラ金で金を借りて返せない人がたくさんいて、それが大きな社会問題になっている。

サラ金から一度金を借りたら、借り主の弱みや生活苦につけ込んでサラ金は百万円、二百万円と
貸付高を多くしていく。そして、返済期には、異常とも言える強引な取り立てをする。また、法的には
返済義務のない兄弟や家族に対してまで、執拗なまでの要求をする。

ほとんどの人が、できればサラ金から金を借りたくはないと思っているが、多くの人たちは失業や
家族の入院など苦しい生活の中で、やむをえずサラ金に手をだすのである。

そういう人たちは、あげくの果ては、サラ金の執拗な取り立てに耐えきれず、自殺、行方不明、
犯罪行為に走るのである。

そのようなサラ金の被害者が世の中には、たくさん存在する。この男もその被害者の一人なのだろう。

四百万円は普通のサラリーマンにとって、返済するのになかなか困難な金額である。

「そうですか」
左近寺は金竹の話を聞き終わると、言った。

「自己破産したらどうですか」

「ジコハサンですか?」
金竹は怪訝そうに聞き返した。

「そうです。自己破産です。支払い不能の状態であるということを裁判所に申請し、債務の支払い
義務をなくす手続です」

「自己破産なんかすると、戸籍に載るんじゃないですか」
金竹は、心配そうに聞いた。

「自己破産をしても、戸籍に載ることはありません」

「でも自己破産したら、会社をくびになるんじゃないですか」

「いえ、破産をすることは懲戒解雇事由にはあたりませんので、会社を解雇されることは、ありません」

「解雇されなくても、会社にいづらくなるんでは……」

「裁判所は、会社に対して破産した通知をすることはありませんので、自分で告げないかぎり、
会社や仲間に知られることはありません」
左近寺は、答えた。

「でも、何か不利益はあるんでしょう」
金竹は、まだ不安そうなようすだった。

「そうですね。居住の制限とか長期旅行は制限されます。つまり、破産者は裁判所の許可を得ない限り、
現在の住所、居所を離れて住所移転または長期の旅行をすることはできなくなります」

「破産して金がないのに、長期の旅行をするってわけにもいかないよな」
金竹は、半分納得したような口ぶりで言った。

「また、公法上、私法上の資格制限を受け、司法書士とか弁護士あるいは後見人、遺言執行者、
監査役になる資格はなくなります。しかし、選挙権がなくなるなどということはありません」

「そうですか……」

「しかし、破産手続が終了すれば、十年でそれらの制限はなくなります」

左近寺は、話を続けた。
「破産手続によれば、破産者に資産がある場合には、破産管財人が破産宣告と同時に選任されます。
その破産管財人は破産者の資産を売却換金して、債権額に応じて債権者に配分します」

「でも、おれは売却するほどの資産を持っていないけど……」

「破産者に資産がない場合、破産管財人を選任しても意味がありません。その場合には、同時廃止と
いって、裁判所は破産手続の廃止を破産宣告と同時にします」

「破産手続の廃止を同時にする……」

「そうです。原則として、裁判所は債権者に配当清算して破産手続を終了させますが、同時廃止の
場合は、破産手続に入らないで終了させてしまうんです」

「……」

「その後で、免責の決定を裁判所から受ければ、借金の支払い義務はもちろん、居住や長期旅行の
制限や公私上の資格の制限もなくなります」

「メンセキの決定?」

「ええ、借金の支払い義務をなくす手続のことです」

「そんな手続で借金がなくなるなんて、本当なんですか」
金竹は、納得がいかないような口調で聞いた。

「本当です。それから、破産宣告後に新たに取得した資産は、自由に使えることになります」

「そんな手品みたいなことが、できるんですか」

「できます。あなたさえよろしかったら、その手続をいたしましょう」

「はい、ぜひお願いします」
そう言うと、金竹信二は頭を下げた。

「自己破産の手続をするには、まず、支払い不能の状態にある必要があります」
左近寺は、説明をしだした。

「支払不能とは、債務者が弁済能力が欠乏しているため、債務を即座に弁済することができない
客観的な状態をいいます。あなたは支払い不能の状態にありますか」

「そりゃそうだ。おれは月収が二十万円程度の普通のサラリーマンだし、サラ金からの借金が
四百万円もあるんだからな」

「では、支払い不能の状態にあることを前提として、まず最初に、破産申立書を作成します」

「その破産申立書っていうのは、自分で書くんですか」
金竹は、身を乗りだして聞いた。

「ええ、破産申立書は、自分で作成するのが原則ですが、自分で作れないときは司法書士が作成します」

「なるほど」

「破産申立書を作成したら、それをあなたの住所地を管轄する地方裁判所に提出します」

「ふうん」

「また、添付書類として、戸籍謄本、住民票、陳述書、債権者名簿、資産目録が必要になります」

「戸籍謄本や住民票なんていうのは、自分で取ることができるな」
金竹は次第に、自己破産申立てに積極的になってきたようだ。

「そうですね。陳述書は、自分で作るのが原則です。債権者名簿、資産目録などの書類も簡単な
内容ですので、自分で書くことができます。さらに、破産申立ての費用として、収入印紙、郵券、
予納金などあわせて三万円ほどかかります」

「三万円も……」
金竹は、思わず財布の中をのぞきこんだ。

「これは破産申立ての費用ですから、しかたがありません。その後、裁判所から呼出があり、
審尋があります」

「シンジン?」

「そうです。これは裁判官から破産申立ての内容について質問をされるということです。それで
裁判官は支払不能の状態にあるかどうかを判断します」

「ふうん」

「破産者に資産がないと判断される場合には、同時廃止の決定がなされます。これは先ほど
言ったように、破産者の資産が換価されることなく、破産手続を即時に終了させることです」

「じゃ、おれの場合、資産がないから同時廃止の決定がだされるな」
金竹は、少しずつ理解しはじめたらしい。

「その可能性が大きいですね。もし、資産があることが判断されれば、破産管財人が選任されます。
これによって、破産者の財産は破産財団となり、処分換金されて債権額に応じて平等に債権者に
配当されます」

「へえ」

「同時廃止の場合でも、破産者になると、司法書士になることができないなど一定の公私上の
資格の制限をうけます」

「おれは、司法書士なんかになりたくねえや。だって、司法書士っていうのは、銀行に頭が
あがんないんだろう」
破産者のくせに、妙なことを知っている。

「いや、そんなことはありません」
左近寺はあせった。

「それはともかくとして、破産手続が終了すると破産者が官報に公告され、それから二週間後に
破産が確定します」

「それで、手続は終りですか」

「いえ、破産が確定してから、一ヶ月以内に免責の申立てをしなければなりません」

「一ヶ月以内に免責の申立てをする……。めんどうくせんだな」

「この免責の申立てをしないと、債務はなくなりなせん」

「ふうん」

「免責の申立ては、免責申立書に住民票、債権者一覧表を添付して自分の住所地を管轄する
地方裁判所にします」

「免責申立書に住民票、債権者一覧表をつければいいんだな」

「そうです」

「破産申立書に戸籍謄本、住民票とか、陳述書、債権者名簿、資産目録をつける破産申立て
手続よりも、添付書類の数が少ないな」

さすがに金竹は、私が前に言った破産手続のことを憶えている。

「ええ。その後、裁判所から呼出があり、裁判官から免責申立ての内容について質問を受けます。
その結果、免責が決定され官報に公告されます。この公告の日から二週間以内に免責の決定に
対する抗告がだされなければ、免責が確定します」

「そうすると、どうなるんです」

「免責が確定すると、借金の支払い義務がなくなります。また、公私の資格制限などがなくなり、
はれて司法書士になることができます」

「おれは、司法書士にはなりたくねえって言ったろう。ともかく、これで借金を支払わなくても
よいことになるんだから、これにこしたことはねえ」
金竹信二は、うれしそうに言った。