早川の土手沿いにあったが、たび重なる水害および土手拡張のため、昭和43年、6番浄蔵寺に
合併された。
浄蔵寺の境内に墓地を移し、不動堂を建立している。現在、水管橋の東の土手沿いには、
正覚寺跡と堀口館跡の記念碑が立つ。
堀口地区は、元久2年(1205)鎌倉幕府より新田義兼が地頭職として賜った土地の一つであり、
上堀口地区を除いては、代々新田氏の領地となった。
堀口貞氏が住み着いて、堀口氏の祖となった。
同地区からは、文永12年(1275)、建治2年(1276)などの記銘の ある板碑が出土している。
この寺は堀口貞氏の孫にあたる堀口貞満の創建であり、境内には堀口館跡があった。堀口貞満は
新田義貞の側近の武将であり、 後醍醐天皇に新田方の扱いについての誤解を解かせ、新田軍の
面目を回復させた人物であった。
浄蔵寺の境内に建つ不動堂は、瓦葺き宝形造りのこぢんまりとした建物。
正面に不動堂の額がかかり、内陣には不動明王が厨子の中に安置されている。
かつて大伽藍を極めた堀口貞満の創建の寺が、歴史の変遷とともに縮小され、ついには小柄な
堂となり寂しく存続している。時の流れは非情で、常に空しい。
<巡礼案内>
堀口山 不動院 正覚寺(しょうかくじ)[高野山真言宗] 本尊・不動明王
〒370-0414 太田市堀口町105-4 廃寺
<納経所>
浄蔵寺(6番) TEL:0276-52-3876