第34番 長慶寺


県道、伊勢崎・新田線を東に進む。いずみ団地入口の信号を北に曲ると、綿打小学校の合い向かいに
長慶寺がある。

細い路地を入っていくと参道があり、石柱門の先に間口六間の大きな本堂が建つ。

延応元年(1239)、新田義兼の娘で足利義純と婚姻関係にあった新田尼の子、時明を祖とする
田中氏の館跡に建立された。

開基は田中五郎義清、開山は僧の慶弁である。なお、田中五郎義清の子孫は田中与四郎であり、
茶の千利休のことである。

この寺は、当初、宝光寺といった。南北朝時代、長慶天皇(1343~1394)が北朝と対立し、この寺に
移り得阿弥と名乗った。それにちなみ、以後、長慶寺と改称した。

慶安元年(1648)、徳川家光によって朱印寺とされ、四方が塹壕と土塁に囲まれた大寺であった。
七堂伽藍が整っていたが、その後、田畑にするため次第に 土塁も崩されていった。

明治21年、本堂と鐘楼が再建され、同34年には、本堂が一回り大きく改築されている。

現在は境内に石の円陣が敷いてあり、本堂、庫裡が建つ。納経所は、境内右前の稲田信昌宅である。

<巡礼案内>
 田中山 長慶寺(ちょうけいじ) [真言宗智山派] 本尊・不動明王
 〒370-0346 太田市新田上田中町154 住職・稲田信昌

<納経所>
 同寺(兼16番) TEL:0276-56-8646

巡礼歌 『世の中に 蒔ける護国の 種間寺 深き如来の 大悲なりけり』